美味しいふぐをご自宅でどうぞ

ふぐの美味しさ

豊富な旨味成分とプリップリの弾力

ふぐの美味しさは、
・ 圧倒的に豊富な旨味成分(グルタミン酸、イノシン酸などの複数のアミノ酸)
・ 抜きんでるプリップリの弾力(上記アミノ酸などのコラーゲンによる)
この2つのバランスです。味を主張しすぎず、上品で、他の白身魚と比べても低カロリー。昔から命を賭してでも食べたい食材だったことは、歴史が証明済です。

「ふぐの美味さというものは実に断然たるものだ――と、私は言い切る。これを他に比せんとしても、これに優る何物をも発見し得ないからだ」(北大路魯山人「河豚は毒魚か(底本/魯山人の食卓)」より)
「例によってなんの味もないようであったが、やはり、ふしぎな魅力をもっていた。」
(北大路魯山人「海にふぐ山にわらび」より)

様々な楽しみ方

淡白な白身魚だからこそ、どんな食材とも合い、調理方法も多種にわたります。
噛めば噛むほど「旨味」と「幸福感」が広がるお刺身はもちろん、
鍋や唐揚、ヒレ酒など、火を通すことにより変化する食感と新たな旨味もたまりません。
成分からみると、弊社が扱う鯨肉の赤身が持久力系・長距離ランナーならば、ふぐの白身は瞬発力系・短距離ランナーと言えるでしょう(下関はこの点、実にバランスがいいです)。

下関とふぐ

下関とふぐの歴史~ふぐ食解禁~


下関がふぐの名産地になったきっかけは、やはり明治21年のふぐ食解禁です。
豊臣秀吉の時代に、出兵前の武士たちがふぐ食により相次いで亡くなったため、「河豚食禁止の令」が出され、明治においても法律にて禁じられておりましたが、下関近辺の庶民はこの間も隠れて食すことが多い食材でした。前年の伊藤博文総理大臣の宿泊時に大しけで全く魚が獲れず、宿泊先であった春帆楼の女将がお手打ち覚悟でおもてなし料理として提供。若き日に高杉晋作などと食し、味を知っていた総理が、初めてのような顔で、こんなに美味しいものを禁じてはならぬ、と、この翌年に山口県内に限りふぐ食の禁を解いたのはあまりに有名な話です。

下関とふぐの歴史~技術の発達~


しかし、その後も下関がふぐの名産地であり続けられたのは、ひとえに、毒のある部位の取り除き(これを「身欠き(磨き)」といいます)と盛り付け技術の向上、施設の充実に努めた先人たちの尽力のおかげです。
下関以外の産地が増えても、身欠き(磨き)の職人技術、厳しい免許制度の有無等、これまで下関がブランド足りえた理由がここにあります。全国統一の免許制度を目指していても、自治体によってはこれまで以上に厳しくなる規制となる場合も多く、現実とはなっておりません。

ふぐの競り「袋競り」


ふぐ独特の競り方法として有名な袋競り。袋競りを行う魚はふぐのみのため、別名「ふく競り(ふぐのことを下関ではふくと呼ぶことがあります)」と呼ばれます。 昔、市場の業者は袖長の合羽を着ており、競りは他者に値段がわからないように袖口に手を入れて指の握り合いで価格を決めていました。
時代とともに袖長の合羽が廃れ、名残として黒い筒状の袋の中でやり取りを行っています。袋競りは、買い手の人数分競り合う必要があるため合理的ではありませんが、昔からふぐの味わいは格別で、代替の利かない唯一無二の魚として珍重されていただけに、通常の競りだと大しけなどで水揚げが乏しかった日に、代わりの利かないふぐを巡って競り場が荒れてしまうのを防ぐためといわれています。
現在では、下関唐戸市場から分離した南風泊(はえどまり)市場でのみ、この伝統的な袋競りが行われています。ふぐの街と呼ばれる下関が歴史の中で紡がれてきた背景を後世に伝えたいという、熱い想いを感じる袋競りです。

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